雪の朝

この冬はじめての、まとまった雪となりました。

昔、古文の授業で習った、『徒然草』の段を思い出しました。
  雪のおもしろう降りたりし朝
  人のがり言ふべきことありて文をやるとて
  雪のこと何とも言はざりし返事に
  この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの
  ひがひがしからむ人の仰せらるること
  聞き入るべきかは
  かへすがへす口惜しき御心なり 
  と言ひたりしこそをかしかりしか
  今は亡き人なればかばかりのことも忘れがたし

〔雪の朝に用事があって手紙を書いた相手から、「全く雪のことに触れないような、情緒を解さない手紙を書く人の用事をきくことはできない。つくづく残念な御心である」と言ってよこしたことは、心に残ることだった。今は故人となった方だから、こうしたやりとりも余計に忘れ難い。
(私訳)〕

長い間、手紙に苦言を呈していたのは、作者である吉田兼好のほうだと思い込んでいました。
また、手紙には時候の挨拶を入れる、というマナーを示した段だと理解していました。

改めて読むと、故人を偲ぶ文章だったことに気づきます。
かつてと同じ雪の降る朝に、無粋な自分を手紙で諭してくれた人を、懐かしく思い出して書かれた文かと想像します。

若い兼好は、相手の返事に多少なりとも反発したかもしれません。
年齢を重ね、ようやく故人の心境を解するようになり、慕わしく思えたのかもしれません。

かくいう私も、若い頃と今とでは、作品の見方や味わい方に変化があるわけです。

降り積もる雪、重ねる年月。
変わりゆく景色に、変わりゆく心を、眺める朝です。

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