勝手

ご近所で火事がありました。

立ち昇る火と煙。
鳴り響くサイレン。
消防団の召集を呼びかける緊急放送。
家々の戸口から出てくる人びと。

騒然とするなか、わたしは、かばんに財布とハンカチを入れ、ダウンコートを引っ掛け、いつでも避難できる体制を整え、玄関から火の手があがる方向を眺めていました。

数十分経って鎮火し、何ごともなかったように、もとの闇が戻りました。

 やれやれ、無事でよかった。

それが、心の第一声でした。
主語は「私が」です。

バケツ一杯の水を持って、駆けつけることもできたし、当事者や消防団の無事を祈ることもできました。
それでも、そのときは、自分を守ることしか考えませんでした。加えて、高みの見物です。

いま、冷静になってみてはじめて、身勝手な心に気がつきました。

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物語

ギャッベというペルシャの絨毯を、部屋に敷いています。
あたたかみのある、陽だまりのような絨毯です。

 遊牧民たちがギャッベを抱えて旅をし、
 季節ごとに住まいを変えていく。
 彼らはギャッベに身を横たえて、
 満天の星空を眺めることもあるでしょう。

店主が語る物語に酔いしれて、ついつい欲しくなり、手に入れた絨毯です。

日々、身を横たえて眺めるのは星空ではなく、もっぱらテレビばかり。
それでも、蜜柑色の絨毯に触れると、遊牧民の旅情が伝わってくるような気がして、ひととき幸せになります。

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譲り合い

地下鉄の車内。

ひとりの老婦人が乗車し、優先席の前に立たれました。
座っていたご高齢の女性が、
 「どうぞ、どうぞ」
と、老婦人に席を譲ろうとしました。
 「いえいえ、あなたも立っているのは大変よ」
 「わたしはまだまだ元気ですから大丈夫」 
結局、押し問答になり、両者一歩も譲らぬ譲り合いです。

すると、それまで黙って座っていた第三の女性が、
 「ちょっとちょっと、詰めれば3人座れるわよ〜」
とお二人に声をかけました。
文字どおり多少肩身が狭そうにも見えましたが、果たして、お隣同士仲良く座ることができました。

譲り合いも素敵ですが、一緒にラクしましょうよ、という精神もよいものだと思いました。

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満足

時の太閤がご利益に満足したという神社。

本殿の前に積まれた護摩木の前に貼り紙。
 今年、満足したことがある方は、その内容を
 とくに無かった方は、願いごとを書いてください

「とくに満足することが無かった人」に分類されるのを潔しとせず、満足した場面をあれこれ思い出してみました。

考えてみると、こうして自分の足で立って、一年を省みる元気があることが、一番のご利益かもしれません。

「満足、満足」とつぶやいて、神社を後にしました。

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日めくり

今年も11月が今日で終わります。

朝起きて一番にすることは、日めくりカレンダー※を一枚めくること。
日々の言葉と、かわいらしい仏さまの絵が描かれています。

本日、30日の言葉。
  あわてても
  いきつくところは
  みな同じ
  のんびり
  ゆこう

右手をついて、お昼寝をしておられるような仏さまの絵が添えられています。

ちなみに、昨日の言葉。
    いのちの燃焼
  ただボーッと
  生きるのではなく
  今日限りのいのちだ
  と思っていのちの
  燃焼をめざしたい

昨日は叱咤激励、今日は癒やし。
手を変え品を変え、日々揺れ動くわたしのこころを
整えようと、がんばって働く日めくりです。


※『詩画 かわいい仏さまの日めくり』
 (小藪実英 あじさいの会事務局 平成22年発行)

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参道

この道を歩くと 時空を超える
生死の境目も 曖昧になる

さまざまな時代に生きた
数十万の魂が眠る場所

戦いに勝利した者も 負けた者も
敵も 味方も
いっさいが関係なくなる世界

わたしの先祖 あるいは 先祖の知り合いが
この中のどこかに 眠っているはず

わたしたちも いずれは向かう世界を
物言わず 見せてくれる

見えない糸に導かれて
老杉に抱かれた道を
今日も歩いてゆきます


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理想の人

『ばっちゃん』を見ていて、ある女性を思い出しました。

佐藤初女さん。
人生の苦悩を抱えた人々を自宅に受け入れ、手料理でもてなし、話に耳を傾けてこられた方でした。

夜中の電話にも対応できるように、枕元に電話器を置いて寝る日々。
会って話を聴くまでは、相手の素性や事情をいっさい聞かないことにしていたそうです。

佐藤さんの手料理、中でもおむすびを食べた人の多くは、心を癒され、生きる力をもらって帰ったそうです。
食べることはストレートに身体全体に伝わるので、食べながら、おいしい、と感じたときに心の扉が開くといいます。

食べる人のことを想う。
食材をいのちとして考える。
お米の一粒一粒が呼吸できるように丹念に結ぶ。
タオルにやさしく包む。

人は、何でもないことを大きく感じてくれる場合がある。それが転機のきっかけになることもあるから、小さなことを大事にしたいと話されていました※。

一度だけ、佐藤さんにお会いしたことがあります。
講演のあと、本にサインをしてくださるというので、長い列に並びました。
ようやく順番がまわってくると、「人の言葉は芳しく」という言葉を、一画一画、それは丁寧に書いてくださいました。
早く終わらせよう、効率よくこなそう、という姿勢は皆無で、その時間は、わたし一人だけに向き合ってくださった時間だと、はっきり感じることができました。

佐藤さんが感銘した教会の神父さんの御言葉です。
  奉仕のない人生は意味がない
  奉仕には犠牲がともなう
  犠牲がともなわないものはまことの奉仕ではない

やれることをやっているのではいけない。
自分に何ができるかを考えたときに、
 わたしにはこころがある。
 こころは尽きることなく、与えたいだけ与えられる。
 わたしは、こころでいきましょう。
と、大きな衝撃をもって気づいたことが、活動の原点だそうです。

目の前のひとりを大切にすることを、身を持って教えてくださった佐藤さん。
故人となられましたが、いつまでも、わたしの理想の女性です。

※こころの時代〜宗教・人生〜アーカイブス「心をわかちあう」(NHKEテレ 2016年3月12日放映)

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